新渡戸稲造の武士道は読んだことがなかったけど、ものすごく色々な言語に訳されているし、自分も読み始めて引用しておきたい所があるので、ここに。
前書きから
「宗教上の問題もしくは宣教師に説き及んだ私の言が万一侮辱的と思われるようなことがあっても、キリストそのものに対する私の態度が疑われることはないと信じる。私があまり同情を持たないのは教会のやり方、ならびにキリストの教訓を暗くする諸形式であって、教訓そのものではない。私はキリストが教え、かつ「新約聖書」の中に伝えられている宗教、ならびに心に記されたる律法を信ずる。」
自分も多くの宗教の教え、また教会がこれに当てはまると思いますし、同じように考えます。
ラスキン「野の橄欖(かんらん)の王冠」からの引用
「戦争はあらゆる技術の基礎であると私のいう時、それは同時に人間のあらゆる高き徳と能力の基礎であることを意味しているのである。この発見は私にとりて頗る奇異であり、かつ恐ろしいのであるが、しかしそれがまったく否定し難き事実であることを私は知った。簡単に言えば、すべての偉大なる国民は、彼らの言の真理と思想の力とを戦争において学んだこと、戦争において涵養(かんよう)せられ平和によって浪費させられたこと、戦争によって教えられ平和によって欺かれたこと、戦争によって訓練せられ平和によって裏切られたこと、要するに戦争の中に生まれ平和の中に死んだのであることを、私は見いだしたのである。」
こうあって欲しくはないけれど哀しい事実に思われます。が、これを変えたいですよね。平和の中で欺かれないように。
「論語読みの論語知らず」
有名な言葉でしょうけどここに出てきてちょっとCCPに。
スコットが愛国心について、「それは最も美しきものであると同時に、しばしば疑わしきものであって、他の感情の仮面である」と書いていることを、私は義理について言いうるであろう。「義しき道理」より以上もしくは以下に持ちゆかれる時、義理は驚くべき言葉の濫用となる。それはその翼のもとにあらゆる種類の詭弁と偽善とを宿した。もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堪忍の武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。
孟子からだそうですが、
「不仁にして国を得る者はこれ有り、不仁にして天下を得る者はいまだこれ有らざるなり」と。また曰く、「天下心服せずして王たる者はいまだこれあらざるなり。」
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